雰囲気は十分出ているとはいえ、散文調に訳されてるのがちょっと残念なんですが、大半の読者は詩なんて読みたくないでしょうし、それもいたし方ないのかな…。以前読んだ時は、詩の形だったような覚えがあるのだけど。
……という記事があるのですが。その「以前読んだ」と書かれているのは、おそらく呉茂一訳ではないでしょうか。
岩波文庫から出ていたのは、まえは『イリアス』ではなく『イーリアス』という題名で、訳者は呉茂一さんでした。わたしはその、二十年くらい前に読んだ呉茂一訳が染み付いており、先日、書店店頭で新訳の『イリアス』の方を見て、訳文の善し悪しというより「自分が知っているのと違う!」という感覚が強くて、買い直すことができなかったのを覚えています。
なぜ「買い直す」のかというと、上巻をですね、結婚するとき実家に置いてきてしまいまして……そして先年、実家が火災にあったとき、その本も炎上してしまったわけです。
ああもう。
と思っていたら、なんと平凡社ライブラリーから出直していますね、呉茂一訳。おどろきました。やはり、「あの訳がいい」という人がいらしたということでしょうか。こ、これ買うべきかなぁ……。
イーリアス 著者名:ホメーロス(著)
呉茂一(訳)
HOMEROS
出版社:平凡社
出版年:2003.07
ISBN :4582764738イーリアス 著者名:ホメーロス(著)
呉茂一(訳)
出版社:平凡社
出版年:2003.08
ISBN :4582764762
ちなみに原文は「英雄六脚韻」と呼ばれる形式で、原則として
「タータタ|タータタ|タータタ|タータタ|タータタ|ターター」
というリズムを踏まえつつ書かれているとのこと。
あまり関係ないですが、拙著によく出てくる詩の断片のようなものは、呉茂一訳文ならびにギリシャ古典詩の考えかたから、強く影響を受けていると思います。古典詩の考えかたというのは、つまり、
神→(神が見せる真実)→詩人(詩作する人)→詩人(詩を吟詠する人)→聴衆
というような手順を踏んで詩が作られるという原則です。
だから「歌わせ給へ」というように、神に祈念する言葉、あるいは「どこかから伝わった」という雰囲気をあらわす語を編み込んで書くことが多い、というわけであります。
その詩を歌っている人はもとより、作っている人の「私」がいきなり出てくることはない、そういう時代である……ということなのですけどね。

ブログを見て下さっていたなんて嬉しいです! ありがとうございます。
そして「イリアス」ですが、呉茂一さんの訳が詩の形態だったのですね。
そういえば、作品の題名を書く時も「イリアス」でなくて「イーリアス」でないと
どうもしっくりこないなあと思ってたんです。私が読んだのは、確かにこれかも!
平凡社ライブラリー、今度チェックしてみようと思います。
教えて下さってありがとうございます。
あ、松平千秋訳でも、冒頭が「怒りを歌え、女神よ」、少し後にも
「オリュンポスに住まい給うムーサらよ、今こそわたしに語り給え」と出てきていたんです。
その辺りが「雰囲気は十分出ている」と書いたゆえんだったり…(^^ゞ
ブログを拝見してると、他にも色々気になる本があったので
またゆっくり拝見させていただきますね。
「ギルガメッシュ叙事詩」は、丁度先日買ってきたところだし…
「風の王国」の新刊も読まなくちゃ!(てか、買ってこなくちゃ、ですが)
どうぞこれからよろしくお願いいたします♪
とてもすてきなブログなので(お読みになる本の傾向や、お書きになる文章はもちろん、百花繚乱の方も含めて)、楽しみに拝見しております。
『ギルガメッシュ叙事詩』は断片の組み合わせなので、物語のアウトラインもかなり乱れていますが、それはそれでおもしろいですよ。
ギリシャ神話関係のまとめ読みも、楽しそうで、真似したくなります。
こちらこそ、今後もよろしくお願いいたします。