そうだったのか……。かなり、しょんぼりしました。
どこがどう名文! という具体的な文を挙げられるわけではないのですが、単語や漢字の選びかた、文の流れがとても自然で、……たぶん、こうこうならば、こう、という思索の道すじ自体が心地よいというか、わたしに合っていたのだと思います。
いま、同じく金谷さんの訳ということで『論語』も読んでいますが、これは訳メインなので、文章を愉しむという感じではないかなぁ。『論語』自体はとても面白いですけどね。
で、またまた最近、今度はシュメール学の泰斗であられる矢島文夫さんが亡くなったことを知りました。
(ボッテロの『メソポタミア文明』の監修もなさっています)
多数の著作を遺してくださったことに感謝しつつ、ご冥福をお祈りします。

「なんでも本棚。」さんで、金谷治本への言及があったので、それについて書こうと思ったのでした。
http://henneth-annun.jugem.jp/?eid=63
文章を楽しむんなら、『論語』じゃない方がいいと思います、という話をしようとしたんですが、つい他の方向に流れてしまいました……。なにやってんだ、わたし。
そして、そんなこととは存じませんでした。
そもそもの話題が出たところの関連リンクを見ずに終わってまして、気が付いてませんでした。
図書館でできるだけ参照してから、借りる本を決めようとおもいます。
基礎教養なら『易の話』、前半の呪われた王家っぷりを楽しむなら『淮南子の思想』、かなぁ……。と、思います。