わたし「タイトルに番号つかないんですか?」
編集「ああ、番号つけるのは営業が嫌がるので、申しわけありません」
わたし「営業さんが? なぜ?」
編集「番号ついてると、取次さんがなかなか取ってくれないそうで」
都合が悪くなると取次のせいにしてるんじゃないの? と思いたくなることもありますが。
それはそれとして、たしかに「取次」というのは、直接の接点はないけれど、なんかすごい影響力がありそう! みたいな感覚はあるなぁ、と思います。著者にとっても、読者にとっても。
当然、取次が取ってくれないから店舗に出回らなくなりそう! ピンチ! という展開もあり得るわけです。
その実例が、【版元ドットコム】の、「『テロ死/戦争死』は死なず」に書かれています。
取次といえば、この「ほんつな」は、たしか上のリンク先にも出てくる大阪屋さんの肝いりではじまったブログ(+データベース+連想検索)のシステムと認識しております。
わたしがここを借りたのも、もとはといえば、
「取次さんも、いろいろ新しいことをやろうと頑張ってるんだなー。応援したいなー」
と思ったのがきっかけでした。ということを、思いだしました。
なお、上の記事は【ウラゲツ☆ブログ】さんで知りました。『燈火節』を刊行してくださった(平伏)月曜社の編集者さんのブログなので(まだ読み終わってませんが……。いつ読み終わるんだ自分)、たまに覗きに行っております。
取次とか出版社とかによらず、組織が大きくなっていくと、その組織自体の保身が第一になって、守りに入ってしまう、というのは自然な流れなんじゃないかな、などということも考えさせられました。善悪是非の問題ではなく、そうなってしまう、という話です。
もちろん組織だけじゃなく、個人でも「プランド力」がある名前の看板を背負っていれば、そうなるのでしょうね。
フォト・ドキュメントテロ死/戦争死 著者名:第三書館編集部
出版社:第三書館
出版年:2005.12
ISBN :4807405284

「番号がついていると取次がとってくれない」
…んー、不思議なコメントです。
いやそもそも、この場合の「番号」って何を表す番号でしょうか?
巻次だったりシリーズの通し番号だったりするならば逆についていないほうが困りそうなもの。
少なくとも、取次窓口でいやな顔されることは無さそうですよね。
取次が装丁周りに渋い顔をするとしたら、それは流通上支障をきたす場合=書店さんや読者さんへ流れるルート上で混乱が発生する恐れがある場合、です。多分。
だから、書名と関係ないんだけど意味も無く背表紙に数字が刷り込んであるとかなら嫌がるかもしれませんね。
ちなみに、取次が嫌がる事の例としては、ISBNコードの使いまわし、というものがあります。
ISBNというのは国際的な書籍の識別コードで、1書籍に1つのコードが大原則で、例え絶版になったコードでも使いまわしはしてはいけないのです。そうでないと、昔の新聞の切抜きを握り締めて「これ注文してください」と書店さんに注文したお客さんの所に、まったく別の、現在流通しているISBNが同じ書籍が入ってきてしまうことが考えられます。データでの受発注システムが発達した昨今では、ISBNはとても重要なんです。
あとは、どこが書名だか不明な装丁とか、本体価格が分かりづらいとか、ISBNが入っていないとか。作品としての本のデザインも重要ですが、拘り過ぎて読者の手元に届けることを忘れてしまうと本末転倒です。
出版社さんとか書店さんに比べて、取次の人間は絶対数が少ないのであまり発言が見えないんですよね。いきおい誤解も生みがちのようですのでちょとフォローしたくなりました。長文になってしまってすみません。
わたしがそういう説明をされた背景は、だいたいこんな感じでした。
「つづきものの作品なので番号をつけたいのですが」→「それは営業が嫌がるので勘弁してください。1より2、2より3、3より4の方がふつうは売れませんし(中略)、取次にも、番号がついていると部数をとってもらえなくなります」
……たしか、こういう流れだったと思います。
嫌がるというのは、タイトルに数字がついていること自体を嫌がるのではなく、部数を大きくとることを嫌がる、という意味です。
もちろん、ベストセラーのシリーズものであれば、番号がついていても問題なく、むしろどんどん続編を出してくれというようなものでしょうが、そういうのは「ふつう」の範疇ではないという計算なのだと思います。
わたしは、そのように説明を受けましたが、取次のかたとじかにお話ししたわけではないので、真偽のほどは不明です。また、なんにせよ、取次さんだけが全責任を負うものではないと思っています。
もちろん、ではしかたがないですね、と番号をつけるのを諦めた自分自身にも、責任があるわけですから。
偉そうに感じるというのは、出版社側の説明が「取次さんがこうだから」で済んでしまうこと=権威と見なされているようだ、という意味です。
これからも、それは誤解だというようなケースがありましたら、コメントいただければ幸いです。こちらも長文失礼いたしました。