2005年10月12日

「キャラクター」と「キャラ」の違い

 この本はチェックしていませんでしたが、すがやみつるさんが取り上げてらした(←※このリンク先以外のエントリでもふれられています)のを拝見して、ちょっと目を通しておきたいかなぁ、と思いました。マンガ表現についての示唆に富んだ一冊らしいですが、なんだかライトノベル界隈にも通ずるところがありそうな気がします。
テヅカ・イズ・デッド
著者名:伊藤 剛
出版社:NTT出版
出版年:2005.09
ISBN :4757141297

 先日、「ゲーム・アニメ系」でも書きましたが、ライトノベルは現状、キャラクターがまず何よりも前面に立てられていることが読者の支持を受けるために必要なことと見え、小説としてのジャンル分けその他はそれに従属する、背景であるように思われるわけです。
 で、そのキャラクターとはなにかということについて、従来(ゲーム・アニメ、そして最近のマンガ世代以前)の「キャラクター」と「キャラ」の差についてふれているという部分に、参考になることが書かれているのではなかろうか、という気がするわけです。
 ※上掲書では「キャラクター」と「キャラ」という用語の使い分けがあるようですが、わたしは未読なのでここでは併記するにとどめ、意味的な差異は問いません。正確には、問えません。

 映画的手法についても、ライトノベルはやはり「文字なのにヴィジュアル優先」ということで、アニメや漫画、そして年々豪華になる一方のゲームのムービー・シーンにつよく影響されているでしょうから、やはり無関係ではないと思います。
 最近、ゲームの戦闘シーンをどう文字にするかで悩んだばかりですし、個人的には関係性特大です。
 ……というのを書いていて思いだしましたが、そういえば去年の夏頃には、ライトノベルの表紙はポスターであり、口絵は予告編である、というような比喩もしたような記憶が。あ、やっぱり。書いてますね。

 まぁ「おもしろければ、それでいーじゃん」派にはどうでもいい、むしろ鬱陶しい話ではないかとも思いますが、「これってなんなのか?」方面を考えずにはおれない性癖があれば。
 ライトノベルは「文字で読む漫画・アニメ・ゲーム」のようなものかもしれない、という仮定に立って、『テヅカ・イズ・デッド』を読んでみるのも、おもしろいかもしれないですね。
 くだんの『皇帝の華』を書き上げた直後、ぼんやりと、
「どのキャラに人気が出るか見当つかないや」
 と思ったのですが。
 つまり、「キャラ立て第一」という価値観を良いライトノベルの条件として適応する立場からは、自分で自分の書いたものを思いっきり「ライトノベル的には失敗」と判断してたってことなんですよねぇ。

 などということに、つい最近になって気がつきました。初稿を上げてから、実に二ヶ月かかってます。
 失敗だらけの人生さ〜63899
posted by うさぎ屋 at 20:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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