結局、買ってしまいました。
買ったものの、ページも開かないままでは終わらせないぞと、手にした勢いで巻頭から、歌集「翡翠」までを一気に通読。
ものが短歌なので、文字面を追って物語の流れに沿えば、それだけで幸せになれる小説とは違い、かなり時間がかかりました。詩歌は、幸せの質が小説とはまた違いますね。
不勉強なので、同時代の歌人の作品をよく知るわけでなく、文学史的にどういう位置づけかもわからず、優劣を論ずるほどの知識もありませんが、著者の文章のファンとしては、やはり、圧倒的な清澄さに心うたれる感じがしました。
巻末の解説も読み、友人による片山廣子像が「楷書」のような正しい人、というのに、なんだか納得の想いでした。
ヨネ・ノグチ(野口米次郎)による序文……というか、こういうの、なんて呼ぶのでしょう? 歌集刊行に寄せられた詩も、とても素敵でした。日英の2バージョンが掲載されています。
心揚りよろこびを以て吾が常に歌ひしむかしの歌は今いづこにある? 今吾は灰燼となれる廃墟なり。火災と共に吾が生の第三期は始まりぬ。
(p.4 ヨネ、ノグチ「歌集翡翠の出版せらるゝにあたりて片山夫人に与ふ」より)
焼き払われて滅び去った廃墟からまた立ち上がる、余剰を取り去った詩心。その孤立、毅然とした佇まい、不滅の創造への渇仰と信念。読んでいて、どこまでも伸びやかに、空へと舞い上がる心地がしました。
寡聞にして知らなかったのですが、ヨネ・ノグチは、イサム・ノグチのご尊父だそうで、検索してみたところ、19世紀末に渡米、彼の地でセンセーションを巻き起こした詩人だとか。日本に帰国後は大学で教鞭を取り、日本語と英語での著作を残したそうです。なるほどなぁ。
いま、これを書きながら本を手にとり、適当に開いてみたら後半の資料篇で、ついまた読みふけってしまいました。
村岡花子氏(『赤毛のアン』等、少女小説の翻訳で、わたしはお名前を存じ上げております)によって記された「在りし日の片山廣子との会話」など、非常に現実的であると同時に、どこか夢幻的でもあると感じました。
巻頭の廣子の肖像写真は、村岡花子文庫の提供である由、はじめにおくづけを見てふしぎに感じていたのですが、今まで点と点でしかなかった同時代の文筆家たちが、こうして線でつながっていくのも、また興味深いものですね。文章の背景世界に、すっと奥行きが生じたようで。
いい本です。おすすめします。装丁も上品で押しつけがましさがなく、凛とした佇まいで著者にふさわしいと思います。
早く大切に書棚におさめなくては、しかし棚に入れてしまうと読まないよどうしよう、と引き裂かれる想いです。とほほ。
| 野に住みて |
 | 著者名:片山廣子 松村みね子 出版社:月曜社 出版年:2006.04 ISBN :4901477234 |